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24 hours in Texas [Personal]

最近、いろいろな研究会の立ち上げなどにかかわるため、ホームページをリニューアルした
これに伴い、私のホームページで好評であった出張報告を転載する

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30, April 1:00 pm ~機上にて~

 機内食を終え、一段落。現在Dallas-Narita直行便 AA175便機上である。今から数時間前まで、わたくしが日本に帰れるかどうかもわからない状況にあった。こうして今は日本への機上に、一緒に困難を戦ってくれたDr YK, Prof JTと共にいるのはホッとすると同時に奇跡に近い幸運を神に感謝している。

 この報告は、いつ誰にふりかかってくるかわからない災難でもあるので、その対処法と顛末を記録する。


27, April 5:00 pm ~前兆~

 Dallas 滞在3日間、学会開会式、ポスター発表の掲示を終え、午後は市内散策。Dallasはあまり都会的ではなく、ややさびれた街。ホテルに戻り、自分のコンピュータでメールチェック、及び日本のニュースをチェック。インターネットのおかげで、世界中どこにいても日本のニュースを知ることが可能だ。夜は日本人参加者(約50名)の夕食会。それまでひと眠り。ホテルの廊下はガラス張りとなっていて通りすがりの人が時々こちらをのぞいている。同室のDr YKはすでに眠っている。いつの間にかわたくしもひと眠り。さて6:00 pmからの学会場の展望レストランでのディナーへ出発。

 ディナーパーティーは、イタリア料理。Dallasの市街地にはよいレストランがなく、ファーストフードで暮らしていたところ、ステーキまで堪能した。そして、会は盛会に終了。明日の夜は学会主催のパーティー。学会場で偶然再会したProf JTと、明日学会が終わったらProf JTの旧友の居るHoustonへドライブに行こうかと相談。9:00 pmにはホテルへ向かった。


27, April 9:15 pm ~勃発~

 ほろ酔い気分で我がホテルへ到着。明日の朝はゆっくりでいいかなあと思いながら4階の自室へ。自室のテラスを見ると私たちの部屋の手前で白人夫婦が立ちつくしている。なにやら異様な雰囲気。そのふたりの間を通過して自室前へ。

 Room No.437。ドア横のガラスが割られ、室内にあったコンピュータとバックが紛失。先ほどの白人夫婦がフロントを呼んだらしく、フロント係が到着。9時に窓ガラスが割れる音がして、白人夫婦が外にでると437号室に黒人が進入。物色中を発見。犯人は4階から階段で逃走。コンピュータと黒いバックを持って車で逃げ去ったとのこと。


 警官は2名。話を聞いて現場を確認して終了。レシートの様なポリスレポートに確認番号を記入され手渡された(後日これは大活躍; policeはvery important paperと表現!?)。レシート発行後、警官はいつの間にかいなくなる。Dr YKは事件現場の証拠写真を撮影。フロント係は別の部屋(なんと1階でさらに危険な感じ)を準備。明日、朝8時にホテルのジェネラルマネージャーが来るので話し合おうとのこと。コンピュータや財布は戻ってこないだろう。はたして日本に帰ることはできるのか………



27 April 10:30 pm  ~困惑~

 なんとしても帰国を。帰国予定は4月30日。2日弱の時間はあるが、明日は金曜日。週末になるので、明日中に手続きを完了しないと帰国は週明け。しかも日本はゴールデンウィークに突入。帰国はさらに延びる可能性も………

 病院・自宅に盗難にあいパスポート・航空券までとられ、いつ帰国できるか不明な旨を連絡。とにかく気をつけて安全な帰国をするようにとの返事をもらう。


27 April 11:00 pm ~始動~

 帰国のためにはパスポートと航空券が必須。私に残されたアイテムは外出用の財布(現金約100ドル、クレジットカード3枚、日本の運転免許証)ポリスレポート、携帯電話、アメリカ南部の観光ガイドブックとDr YK 。

 ガイドブックから日本大使館を調べる。ダラスにはなく、テキサス州にはヒューストンに領事館があった。ダラスから約400km。電話をしてみると、当然、留守番電話で、緊急連絡先に転送。領事館の係の方が対応してくれ、申請用写真2枚、ポリスレポート、身分証明書が必要と指示。詳しいことはFaxを送るとのことであった。パスポートがどのくらいで発行できるかは、自分は責任者でないので答えられないと返事。至極当然。模範解答。ホテルへファックスが届き、必要物品を確認。次いでクレジットカードの失効手続き。JCB, VISA, DCに電話(すべてガイドブックに電話番号ありました)。早急な対応をしてくれる。ついで、今回の出張手配をしてくれた旅行会社に電話。こちらは真夜中だが、日本は金曜日の午後。ギリギリで連絡がとれる。まずは、パスポートを再発行してもらうのが先決。当然。ヒューストンへ行って領事館でて手続きが必要。ホテルの手配と現地でのサポートは提携会社に指示。アメリカでの連絡先を聞く。航空券は新しい航空券を購入して帰国すれば、新規購入した航空運賃は保証してくれるとのこと。Dr YKより、明日、ヒューストンに行きましょうと心強い言葉。なぜか、国際免許証を持ってきていた彼の申し出。すまないけど、明朝バスで行くのでは間に合わない。レンタカーに問い合わせると学会場ホテルで7~9時頃から受付して貸し出してくれるとのこと。

 明日は7時起床として就寝。



28 April 3:00 am ~瞑想~

 Dr YKは疲れた様子で就寝。私は眠れるはずもなく。自分はいつ日本に帰れるのだろうか。もしかしたらヒューストンに長期滞在になるのか。泥棒に侵入されたのはわたくしたち帰室の数分前。もう少し早く帰ればよかったのか。いや、在室中の出来事あるいは最悪、就寝中のことであったらと考えるとぞっとする。命は助かり、だれもケガをしなかったのが不幸中の幸いなのであろう。事件のあった同じホテルで、恐怖と戦いながら、朝7時までの時間は遅々として進まず、数日を要した気分であった。


28 April 7:00 am ~再始動~

 Dr YKは7時に起床。前日、後半の学会行動を一緒にしましょうと約束していたProf JTに電話。事情を説明すると、最初は事の次第が理解できなく、そんなことあるのかという驚き、そして、もし役に立つならヒューストンまで同行していただけるとの申し出。即座にお言葉に甘え、ヒューストン同行をお願いした。私とDr YKはProf JTに状況説明のためホテルを訪問。私は盗難のあったホテルのマネージャーが8時に話があるとのことで、ひとり部屋に戻る。レンタカー会社は8時からで、手続きを終え車を入手。私は部屋でマネージャーを待つが来ず。8時半まで待って来ないので、フロントに抗議の後、ヒューストンへ出発。私、Dr YK, Prof JTでダラスを後にした。



28 April 9:00 am  ~失望~

車はほどなくフリーウエイに出て、ヒューストンへ向かう45号線を南下。市街地を過ぎると車線も減り車もまばらとなる。Dr YKも少し緊張が取れた様子。スピードも加速する。9時に日本領事館が開くので電話。手続きのため、ヒューストンに向かっている旨を知らせると、手続きは郵送でよい。発行の時に受け取りは本人が来る必要があるが、本日来ても、日本の外務省と連絡をとって手続きが必要。日本はもう土曜日なので手続きはできない。月曜ににできる可能性が70%前後。それ以降となると日本は連休になるので1週間は無理とのこと。ガイドブックの記載でも再発行には2~3日かかるとある。現在、週末であり、ゴールデンウィーク突入ということで仕方ないだろう。心を決めて、本日のヒューストンの宿3名分とそれ以降、パスポートができるまでの期間としてとりあえず2日間を1名分ホテルを確保。市街地の領事館へ徒歩で行ける範囲でホテルを確保できた。パスポート発行日がはっきりしない限り、航空券も手配できず。ゴールデンウィークとなればチケット入手困難となる。自分はヒューストンに何日滞在することになるのだろうか。


28 April 10:00 am ~かすかな光~

 フリーウエイを軽快に走行。領事館に早く到着するためスピードも100マイルを越える。平日なので大型トラック(コンボイ)が多く、一時、数台のコンボイに囲まれることも。3人とも朝から全く何も口にしていない。Dr YKは緊張して運転。私は、失望のあまり食欲はない。そんなとき、領事館から携帯電話に連絡あり。

 「もしかして、発行を急ぎますか?」

 勿論「はい!」

 「そうしたら、急いでいるという証明をしてください。いつ帰国予定でしたか?」

 「4月30日です」

 「航空券ありますかあ」

 「盗まれました」

 「残念ですねえ。4月30日の航空券があれば、緊急パスポートを発行できるかもしれません」

 「わかりました。なんとかします。」

 Prof JTは紛失証明すれば(ポリスレポート)再発行してもらえるでしょうと…目的地を領事館からヒューストン国際空港に変更………


28 April 12:00 pm ~航空券~

 ヒューストン国際空港に到着。ダラスから約350km。チケットカウンターへ。Prof JTと共に交渉。ポリスレポート、クレジットカード、運転免許証を出して、カウンターのおじさんをおだてつつ説明。ドイツ系らしい気のよいおじさん。「オーケー!俺なら再発行してあげられるよ!」と手数料100ドル取られたものの、再発行に成功。Dr YKも喜んでくれた。トイレ休憩の後領事館にむけて再出発。Prof JTのヒューストン在住の友人とも連絡が取れ、夕方落ち合うことに。心強い。航空券入手を領事館に連絡すると、昼休みであった。帰国の可能性が出てきたので、明日以降のヒューストンのホテル予約をキャンセル。とにかく、領事館に向かう。




28 April 2:00 pm

 ヒューストンはダラスとは比較にならない程都会。フリーウエイから市街地に出るのに苦戦の末(おかげでアストロドームやトヨタセンターなど横目で見ながら)、領事館に到着。領事館は1等地のビル23階。セキュリティーのためか、エレベータ2回乗り換えとエスカレータ1回乗り換え。ようやくたどりつくと係の人がよかったですねえ。なんとか発行できるかもしれませんよ。係員に証明写真を撮れるところを紹介してもらい、申請書をそろえて提出。発行に1時間くらいかかりますと言われ、その間、本日最初の食事をとりに街へ。4時で領事館は閉まるので近くのホテルで、ビールで乾杯の後、サンドイッチをお腹につめる。4時5分前に領事館に再来。もうすこし待ってくださいとのこと。しかし、4時丁度に領事館のドアはロックされた。本来はビールで祝杯などあげている場合では亡かったのかもしれない。反省。領事館でおとなしくまっているべきだったのであろう。いろいろあったが、4時半にはパスポート交付。航空券は入手済み。アメリカ入国証明を紛失したことは自分で出国審査で説明してくださいとのことであった。



8 April 5:00 pm ~休憩~

 ヒューストン ダブトゥリーホテル。Dr YKは400kmを荘はし、疲れ切って眠った。Prof JTは別室で休憩。私もそろそろ疲れが襲ってきた。昨日、ダラスの市内散策のあとの仮眠以来ずっと興奮して起きていた。なんとか日本に帰ることができそうだ。


28 April 6:00 pm ~その後~

 仮眠の後、ヒューストン在住Assistant Prof Fと合流。4人でAssistant Prof Fの病院を(敷地が広いので車で!)見学。その後、地元で有名なステーキハウスでフローズンマルガリータ、クラブケーキ、T-boneステーキ、ワイン、サラダの後、巨大なデザートまでたいらげ就寝。

 翌日はヒューストン市街にハリケーンが数個発生し、雷雨となった。しかし、ダラスでは田舎で買い物をできるところがなかったので、ヒューストンのガレリアに行き、朝食と買い物。昼にヒューストンを出発し、フリーウエイ45号を北上。一路、ダラスへ。Dr YKの軽快な運転。途中200km地点で休憩したのみで連日400kmを走破。襲撃のあったホテルはキャンセルし、Prof JTの部屋へ。夕食はホテルのメキシカン料理で疲れを癒し、Prof JTの部屋に3名宿泊。

 翌日は起床後、順調に空港へ。搭乗手続きでアメリカの入国証が無いことをきかれたが、天下のポリスレポートを出してno problem。飛行機は無事定刻出発。


 あと数時間で日本に到着。今回、奇跡的に予定通りに帰国できたのはDr YK, Prof JTのご協力によろものを思う。領事館の方々やツアー会社のサポートにも感謝します。


 さあ、もう少しで日本です。一時はあれだけ遠くに感じた日本はもうすごそこです。


AA175 便機内にて


安藤秀明

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